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2005年 11月 21日
なかなかイヤな仕事にはとりかからず、後回しが続くので、カレンダーに予定だけでなく、締め切りとして書くことにした。
締め切りという言葉に反応する、物書きの修正を利用したものだが、はたしてうまくゆくだろうか。 とりあえず、年賀状とお歳暮のリスとアップ、お歳暮時に得意先にあいさつ回りするときの資料などの用意が優先課題である。 先週末、甥っ子が誕生! めっちゃかわいい~!!! 新生児を見るともう一人ほしくなるなぁ……。 2005年 11月 20日
2005年 11月 19日
2005年 11月 15日
大家さんのひとりごとを定期更新しました。
ひさしぶりに事件帖に追加しました。 なんだかPCの調子が悪く、ささいなことがやたら重くてストレスたまります。きいぃっ。 リカバリのしどきかな……。 前にペット飼ってはった部屋に次の入居が決まったので、明日はバルサン焚きに行ってきます。 2005年 11月 10日
わぁ。1週間以上あいてる……!
この前の税務調査はまだ続いてます。 まじめな税務官さんで、ホント公務員の鏡だわ。 新規入手物件の所有が、個人か同族法人かのバトルです。 同族法人で申告し、税理士さんが本則課税で消費税の還付を狙ってくれました。 けっこう多額の還付になったので、調査になった模様です。 別に不正なことはしてないけれど、一旦個人が全部立て替えて払い、法人が返しきれない分は同族法人の借入金の形になって残ってます。 そういう意味では少々イレギュラーな処理がされてる部分もないわけではありません。 ……あれ……? 「イレギュラー」だと「不正」だな。 言い直します。 「少々アブノーマルな処理がされてる部分もないわけではありません」 あああああ。……もっとアヤシイ!!! ともかく収入も支出もきちんと申告してるので、あとは処理に関する解釈の問題です。 レベル高すぎて、私が口を出せるようなものじゃないしなー。 人事を尽くして天命を待つのみ。 といったカッコいい心境ではなく、本気で高みの見物を決め込んでます(^^ゞ 2005年 11月 09日
http://hidamari.pupu.jp/
http://page.freett.com/webfrontier/ 2005年 11月 03日
前のカキコで、成実と宗貞の論争を書いたけど、もう1個エピソードが治家記録に載ってました。(超意訳)
政宗の旗本の松本若狭に 「さっさと戦に参加して手柄たててこい!」 と励ました。 若狭が、 「いや、殿の下知を受けてませんから」 と遠慮すると 「あーもー、手柄たてたら文句ないって。俺が責任とるから行って来い!」 みたいな感じ。 果たして若狭は手柄をたてて、政宗に褒められました。 ……コレはコレで、なんだかなぁ。 なんで成実が政宗のそば近くにいる若狭のトコにいるんだ。 先発の片倉隊が道明寺付近(国分片山)に着いたのが、5/5の午後4時。 政宗の到着が午後8時。 大和から河内平野に向かった関東方は、20000余。この人数が竜田越を通ってくる、しかも隊将はそうそうたるお大名だから、きっと奈良街道は大混雑大渋滞だったろうな(^^ゞ 2005年 11月 03日
「白達記」によると、秀宗の宇和島入府に先立って、白石宗直が宇和島城を受け取りにいったとある。
無事に秀宗に城を渡し、尼崎まで戻ったところで、夏の陣の陣触れを聞いた。んで、急な陣触れなので人数も揃わないだろうと、政宗を草津まで迎えにいった。 大阪の陣、道明寺の戦いの前に、白石宗貞の小旗持ちが、成実の小旗持ちを追い抜いた。 成実「そこもとの九曜紋は前に出すぎている。後に下がれ」 宗貞「戦陣でカッコつけてる場合か」 成実「今日の先陣は儂だ。聞き入れぬなら、殿に申しあげるほかない」 宗貞「あなたもご存知のとおり、我が白石家の旗は、宗実の代からよその旗の後になったことはない」 で、互いの兵士が刀に手をかけ、あわや、というところで、宗貞の重臣が 「今は大事のときだ。そんなんやってるばあいとちゃうやろ」 と双方を説得した。 と、なかなかオモロイエピソードなので小説に頂戴しようと思った。 後半、成実との論争については、すでに江戸期から、「大阪の陣に参加してるなら、宗貞じゃなくて宗直じゃないの?」という疑問がだされてる。 で、一応治家記録をチェック。 すると、白石宗直が全然でてこないの。 夏の陣のときは、冬の陣のあと、兵士がみんな仙台に帰っていた。それであとから東海道を追っかけてきて、治家記録は「いつだれそれが着いた」とけっこう細かく記してる。でも出てこない。 夏の陣の陣立ても、大きな備えをたてているのは片倉、亘理、成実の3隊。あとは鉄砲隊を指揮したり、人数だけ使わした家も多かったようだ。 茂庭、石川あたりは陣立てには出てこないけど、家中のだれそれが首をいくつとった、という記載が出てくる。が、総じて、片倉オンパレード(^^ゞ もちろん、立場的制約はあるものの一応いろいろ考証した治家記録と、単なる伝承を記した白達記は史料としての信頼性はかなり差がある。 どこまでどっちを信用するかは置いといて、このような話が白石家中で広範にひろまった、というあたりがオモロイ。 2005年 10月 31日
2005年 10月 28日
こないだからザウルスくんで書いている、宗直のお話。
和賀一揆でやけに盛り上がってしまった。 さぁ、あとどうしよう……。 河の改修っていうネタは好きなので、北上川のことにも触れたいのだけれど、手元に資料がない。登米町史を中央図書館に行ってコピー……いついけるかなぁ(^^ゞ 実家の近くの川の付け替えをしたのが、島左近の孫で、それ以来この手のネタは好き。
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